第5回 宝龍会活動報告 おくりびと 前(宝龍会トップページ)へ
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今年の310日に姑が他界しました。80歳でした。

 母は7年間、数々の病魔との戦いの日々でした。

 いつも一緒にいた母が亡くなり、ぽっかりと心に大きな穴が開いたような時間を過ごしていた時、「おくりびと」という映画を目にしました。第32回モントリオール世界映画祭グランプリ受賞作品でした。ある男性がオーケストラの解散によって無職になり、故郷で仕事を探し始めちょっとした勘違いから納棺師という仕事に就職する。その仕事の中で、偏見や差別、人間関係、死に対しての考え方などしみじみと味わいの深い映画でした。

 私自身、今でも忘れることの出来ない心残りがあります。

 平成12年に舅が他界した折に、ひげを剃ってあげる事が出来ませんでした。舅のひげ剃りは私の務めでしたので、おしゃれな父が伸びたひげのまま旅立った事は、今でも悔やまれてなりません。

 平成15年に私の父が他界した時は、舅への心残りを繰り返したくなかったので、ずっと入浴をしていなかった父に御浄土へ旅立つ時は、きれいな姿にしてあげたくて納棺師さんの湯かんの儀をお願いしました。父はお風呂が大好きな人だったので、きっと喜んでくれたと思いました。

 今回、姑の他界の時もその事だけは悔いのない旅立ちの準備をしようと思いました。

 それは、私が27年間姑を見てきた中で、一番美しい顔立ちでした。いつも畑仕事や牛蒡の卸業でまっ黒けの顔をしていた母でした。病魔に侵された後も、病気の原因である土色の顔、無数にできた内出血、その母が、別人のようにおだやかで、上品で、夢の中で微笑んでいるようなやさしい顔をしていました。

 心から納棺師の方に「ありがとうございます。母の人生の中で一番美しい姿で仏様のおそばへ旅立つことが出来ました」と声を掛けさせて頂きました。母の大好きだった白色の胡蝶蘭、白ユリのカサブランカをたくさんお棺の中に入れさせてもらいました。お気に入りのスカーフも忘れずに首につけてあげました。

 「死」とは誰もが通る道です。そして誰もが「おくりびと」「おくられびと」になると思います。

 「死とは究極の平等です」とある納棺師の方が言われたそうです。

 まさに地位や名誉、財産に関係なく誰にも必ず訪れる。平等に訪れる事です。

 同じ訪れる事ならば、日蓮聖人の御妙判にある「妙法尼御前御返事にいわく人の寿命は無常なり、出る気は入る気を待つことなし。風の前の露、尚たとえにあらず。かしこきもはかなきも老いたるも若きも定め無き習いなり。されば先ず臨終のことを習うて後に他事を習うべし」といきたいものです。

 一日一日を大切に悔いのない人生を送りたいです。

 是非、お時間があればまだ上映中ですので「おくりびと」を鑑賞してみて下さい。