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当山のホームページへようこそ。

当山は日蓮宗宝雲山龍正寺です。歴史はすごく浅いですが(?)法華宗より日蓮宗に昭和29年に改宗され、龍正教会を開き現在に至るまでを述べさせてもらいます。

祖母(先代)が信仰厚く、出家得度し教会を開き多くの信者様方を教化してまいりましたが、昭和46年に御遷化され沙門それがしが身延波木井山円実寺において修行中でありましたが、教会の法統継承し担任となり以来大荒行堂300日を成満し、平成11年に日蓮宗立教改宗750年を記念し寺号公称し、教会を龍正寺と改め山号は宝雲山と命名し住職となり平成11年大荒行堂を成満し、計400日の行を成満して現在に至っております。

寺院としては日本国の中では一番小さい寺です。境内地はなく、本堂と庫裏が一緒でありますが中身は大きな寺です。

十界曼荼羅(御師匠様であり波木井山円実寺第34世日成上人直筆)、宗祖日蓮聖人木像、鬼子母神・子安鬼子母神木像、七面大明神木像、大古久尊天木像、尚、鬼子母神様の子としてビンガラ姫等を勧請しています。

毎日の檀信徒の参詣によりお題目を唱え続けております。

当山は老若男女、特に若い方々、子供連れの方の信仰が熱心であり、住職もいろいろ数多く人生相談等しております。宗派を超え、家族の幸せを願いご先祖様の供養、水子の供養、感謝・懺悔の心、道徳心等を法華経の中より学び一人一人が幸せな心を持ち、家庭円満で毎日を過ごしていける様、常に指導しお題目を唱え続ける龍正寺です。

一度参詣されてはいかがでしょうか?

ホームページ開設にあたり、ご挨拶とさせていただきます。

                                                          合掌

龍正寺住職 佐口恵亮


          

私の信仰体験  お題目と縁を結んで

日蓮宗新聞社発行 教紙「正法」第130号(平成24年7月1日発行)より

 ※日蓮宗新聞社に許可を得て、「日なた第51号」に掲載してあります。
     下の写真をクリックすると、「日なた第51号」をご覧になれます。(4ページ目、5ページ目です)

正法第130号より「お題目と縁を結んで」


◆歴史に名高い城下町

 織田信長・斎藤道三らが、かって天下統一を夢見、その拠点とした事で知られる岐阜城・金華山。

そこから南ヘ十分くらい車を走らせると、岐阜市街に行き着く。
歴史豊かな街中にある、小さなお寺、岐阜市宝雲山龍王寺(佐口恵亮住職)。

佐口住職の教化で、家の宗旨は異なるが、お題目と縁を結んだご夫婦がいる。
服部安芳さん(五四)と妻、昌世さん(四九)ご夫妻である。



◆藁をもすがる思いで

今から二十五年前のこと。服部さんご夫婦は、悩みを抱えていた。長男の泰教さんが、四歳の時に情緒不安定が続き、考えられない意外な言動や行動が度重なり困惑していたのであった。このまま放っておくと、もっと酷くなっていくのではないかと悩まされていた。
 そんな矢先に、ご主人の安芳さんの友人が、「私の知り合いの日蓮宗のお坊さんに相談してみると良いよ」と紹介されたのが、龍正寺の佐口住職であった。

 しかし奥さんの昌世さんは、一抹の不安があった。一つの不安は、宗旨が日蓮宗ではなかったこと。

 「服部宗の宗旨は、先祖代々四百年も続く真宗大谷派なので、龍正寺に行っていいものかとずいぶん迷いましたが、藁をもすがる気持ちで龍正寺に参りました」


◆お寺に日参 修行開始

 佐口住職に相談したところ、「先祖の供養がなされてないから」と教化され、龍正寺に日参することになった。さっそく、お題日修行が始まった。

 すると、息予泰教さんの様子も日ごとに変わり、不可解な言動や奇行もなくなっていった。

 やがて、服部さん家族と龍正寺の関わりや絆も強くなり、確かなものとなっていった。


◆新たな不安

しかし龍正寺と少しずつ絆が堅くなるにつれ、新たな不安も増してきた。

 それは服部家の宗旨が真宗大谷派であったため、ご主人の両親に何と説明して龍正寺に参拝に行くか、との悩みだった。龍正寺の年中行事や団参等の参加は、ご主人の両親には、なかなか話せなかったと述懐する。昌世さんの気苦労と遠慮があった事が伺える。


◆臨終のお題目

 しかし、次第にご主人の両親も暗黙の了解と心得て、龍正寺にお参りしている事実を了承していたようだ。
 ご主人の父親が他界された時のこと。お姑さんから、うれしい話が切り出されたのだ。

 「毎月の回向は日蓮宗のお経で供養してもらいたい」と。

 葬儀は親戚や近所との繋がりがあるため、服部家の家旨で行ったが、お題日での月日向を望まれたのであった。家庭の相談事も、「日蓮宗の事はようわからんが佐口上人に、聞いてもらえば良い」と言われるまでになった。

 龍正寺との絆がさらに深まりその後、お姑さんは他界する時も、お念仏ではなくお題目を唱えて、苦しまず臨終を迎えたそうだ。


◆未信徒教化の心意気

 今、昌世さんは、龍正寺護持会会長として、自分が法華経によって戴いた幸せを少しでも多くの人々に届けたいと祈りに力をこめる。

 とりわけ自分と同じ立場であった「未信徒の人々に伝えていきたい」と願っている。

 自らが発起人となり、龍正寺のスローガン「みんなで一つの事を」を胸にみんなで作ってきた寺報『曰なた』も四十七号を迎えた。昌世さんを温かく見守り一緒に歩む夫・安芳さんは、今では筆頭総代。

 「今では総代としてお寺を盛りあげようと奮闘する妻に比べたらお寺に行きだしたのも遅く、お経も充分に読めません。総代になってからも曰が浅く、失敗ばかりてすが、こんな私でも法華経を信仰していけるのだとみなさんの良い見本になればと思っています」

 料理人で言えば、賄い作りのような者、一番下で皆様を支えていきたいと心意気は十分。

 「妻と共に法華経信仰の道を歩んで参りたい。いや、みなさまに付いていきたい」と謙虚な姿勢で信仰を保っている。

夫婦仲良く連れ添って信行するご夫妻の願いは、必ず叶うことだろう。

文・写真  傍島智秀 通信員   田中裕史 通信員